7-1地球環境について

 地球環境についてお聞きいたします。
アメリカの航空宇宙局NASAの無人探査機マーズパスファインダーから火星の映像が茶の間のテレビに入ってきます。宇宙生命体がいるのではないかと期待が集まっています。しかし、このパスファインダーから送られてくる映像は、何と荒れ果てた寂しい惑星ではないかという感じがしてなりません。地球から見れば、生命力のない死んだ星のように見えます。
「生命惑星地球・ガイア」を書いたジェームズ・ラヴロックも、もし地球上の生物が突然死に絶えることがあれば、地質、海洋、大気を形成する百以上の元素はすべて反応を起こし、火星のような化学平衡に近い大気となる。そのとき地球は熱くなり、水のない荒れ果てた惑星になると語っていました。地球環境も一歩誤り、バランスが崩れれば、このような惑星になるのではないかと改めて感じました。
ことしの十二月、京都で地球温暖化防止の国際会議が開かれ、今、さまざまな市民団体やグループがその成功に向けて活動をしています。地球温暖化がこのまま進めば、海面も上昇し、砂浜が失われ、高潮、津波の危険が地域に広がり、また千葉県もそうですが、米も東北地方でないと今の種類の米はつくれなくなっていく。その区域や時間、緊急度の数値は環境庁やさまざまなNGOの発行物に定量的にあらわされています。
今、我が県を初め、さまざまな自治体で地球環境の保全に向けた計画、理念がうたい上げられています。どの計画書も人類共通の課題、将来の世代のために、自然との共生等々、言ってみれば格調高い表現ですが、強い印象を持たれる方は少ないと思います。この問題は、尽きるところ、人々の知識ではなく、意識に訴えかけるしか方法はありません。そうだとしたら、もっと人々の意識をつくる、感情に訴えかける工夫をすべきであると思います。環境庁の出している地球温暖化防止のパンフレットには、「地球の悲鳴が聞こえます」「今、地球は病気です」等、地球を擬人化した表現が多く使われています。
私はさらにもう一歩進んで、地球を一つの命を持った、感情を持った生命体と考えていくべきだと思います。この太陽系の巨大生物、地球、そして、その生物の表面に寄生し、生息する私たち人間、私たちが生かしてもらっている地球という生物に、環境を壊し申しわけなかった、これからは一人一人注意し、また感謝してともに生きていこうよという、こういう考え方を持つことが地球環境を考える私たちのベースにあるべきだと思います。さらに、宇宙時代に必要な意識だと思います。この考えは、さきに話しましたジェームズ・ラヴロックの地球生命ガイアの理論であるとか、NASAの宇宙飛行士が初めて宇宙遊泳に出たとき、地球が巨大生物であり、自分が地球の中の一種のバクテリアのような存在だと感じたという、こうした宇宙飛行士の手記の中にもよく出てくる考えであります。
そこでお伺いいたします。
地球環境保全施策の推進の中で、人々の意識の問題、学習、教育の問題をどのようにとらえ、推進しているのか。また、人々の日常的な生活感覚と地球環境という時間的、空間的に離れた問題に対し、人々の情的な参加を促すためにも、地球をできるだけ擬人化し、さらに地球を生命体としてとらえ、それを環境学習に生かす方法もあると思うがどうか。

 生活様式の変化、社会経済活動の進展は地球の温暖化、オゾン層の破壊や酸性雨などを初めとする地球的規模の環境問題を生じさせております。地球環境問題への対応につきましては、県民一人一人が生活様式や社会経済の構造を環境に優しいものとし、地球環施する環境にやさしい千葉キャンペーン等のため地球を擬人化したキャラクターを利用しているところであります。また、地球を生命体としてとらえる手法も環境庁の環境月間行事の地球温暖化防止に係る啓発等、一部利用さ境に配慮した行動を実践していくことが必要であります。このため県では、県内の小学五年生全員に環境学習用の副読本を配布するとともに、さわやかちば県民プラザの中に環境学習コーナーの設置、環境講座の開設等、環境学習の推進を図っているところであります。さらに、七都県市首脳会議では、平成九年度に共同して地球温暖化防止キャンペーンや環境セミナーを実施し、首都圏住民に対する普及啓発を行っているところであります。
 また、地球を擬人化あるいは生命体としてとらえることは、環境学習においては一つの手法として理解を得やすいものと考えております。